フジ住宅の訴訟と裁判 第6準備書面

今回もフジ住宅の訴訟・裁判に関する情報をお届けします。

” 福岡事件は、部下の女性との対立関係に関連してその女性の異性関係をめぐる行状や性向についての悪評を流す等した上司の行為に対する適切な対処を怠った会社幹部について、被用者のために働きやすい職場環境を維持するよう調整する義務への違反が存するとして、会社の使用者責任が認められた事例である。
この件では、使用者には「労務遂行に関連して被用者の人格的尊厳を侵しその労務提供に重大な支障を来す事由が発生することを防ぎ、又はこれに適切に対処して、職場が被用者にとって働きやすい環境を保つよう配慮する注意義務もある」と判示されているものの、ここでいう「被用者の人格的尊厳を侵しその労務提供に重大な支障を来す事由」というのは、上司のセクシュアルハラスメントや嫌がらせ行為が念頭に置かれての議論であり、「働きやすい環境」というのも、そういった悪質行為がないといった程度の意味で論じられている。
「会社の政治的中立性」や「職場の思想的(保守的)な雰囲気」が「環境」として争点となっている本件とは、相当事案の種類が異なる。
また、この福岡事件は、上司のセクハラという「原告女性にとって良くない環境」を会社が調整しなかったという3者構造の紛争であり、会社が第三者的立場で職場環境配慮義務を負うとしたものである。しかし本件は、原告の主張によれば、原告が被害者、被告らが一体の加害者という2者間の利害の衝突であり、福岡事件と紛争構造が全く相違している。その点でも、福岡事件判決がいう職場環境配慮義務という概念を、本件に適用しようということには無理が感じられる。”

次回も第6準備書面について、続きから紹介していきます。

フジ住宅の訴訟と裁判 第6準備書面

今回もフジ住宅の訴訟・裁判に関する情報をお届けします。

”(3)「職場環境配慮義務」を根拠とした表現規制の民間企業への悪影響
もし、原告が言うところの「職場環境配慮義務」を十分に遵守しようとすれば、職場は思想的に左右のいずれにも偏ってはいけないし、さらには、左派・右派の対立軸に集約されない多様なテーマに関するさまざな意見も「政治的な見解」であれば、繰り返し資料配布することは法的に問題ということになろう。
しかし、その結果として、社内では「全方面ノンポリ」な資料しか配れない、思想的に無味中立な社員教育しかできないというような企業社会が出現した場合、そこは、おそらく、別の意味で非常に息苦しい環境に違いないであろう。民間企業が全て、公務員のような政治的中立性に縛られるようなことになると、会社にとってだけでなく、労働者にとっても不自由で活気を欠く職場になるのではなかろうか。
そういった状況下では、民間企業のエネルギーや、自由で多様なビジネスアイディアなどが、欠乏していくことも必然である。被告今井第5準備書面1頁以下にも記したが、「特色を出す」というのが私企業発展の生命線であり、各企業にさまざまな在り方が認められることが資本主義社会の大前提なのである。その在り方の一つとして、一企業が思想的に一定のカラーを帯びることも許容されて当然のように思われる。
そして、本件に即して言えば、被告今井が保守、愛国の思想信条を事業と無関係に従業員に喧伝しているのではなく、被告会社の企業理念や営業施策とも必然的に結びついているということも重要である。それについては、後記4で詳述する。
(4)原告が主張する内容の「職場環境配慮義務」が認められた例は裁判例上存在しない
原告は、福岡セクシュアルハラスメント事件判決(福岡地裁平成4年4月16日。以下「福岡事件」という。)や日本土建事件判決(津地裁平成21年2月19日)において、職場環境配慮義務の存在が肯定されていると主張するが(原告第14準備書面17頁)、本件訴訟で原告が主張するような内容の職場環境配慮義務が、それらの判決で認められているわけではない。”

次回も第6準備書面について、続きから紹介していきます。

フジ住宅の訴訟と裁判 第6準備書面

今回もフジ住宅の訴訟・裁判に関する情報をお届けします。

” 「環境」というのは、ニュートラルな概念である。保守的な言論は環境を害するが、リベラルな言論は環境を害さない、というものではない。もし、原告の言うように「職場環境への配慮」を強調し、「政治的主張の記された表現に曝されると、異なる思想を有する者の人格的自律が脅かされたり私的な領域への介入になるので、配布すべきでない」とするならば、いずれ、そういった組合ビラの類も、「その内容に不快を感ずる者がいる」という理由で、賃上げ要求等の労働組合の本来的活動以外のものは、その配布が、使用者との施設管理権や職場秩序維持との関係ではなく、労働者個々人の人格的利益との関係で、規制されかねない。つまり、会社が配布を許容しているとしても、個々の労働者が、職場環境配慮義務を理由に、会社や組合に損害賠償や差止の請求をなすというようなことも考えられる。
原告は、「労働者に対して優位に立つ会社や経営者が配布するのが問題なのだ。使用者側ではない労働組合が配布する場合は、抑圧的に働かないから問題はない」と反論するのであろうが、本当にそういう議論にとどまるものなのであろうか。
会社や経営者が、雇用する労働者の環境に配慮する義務があるという立論ならば、その延長上で、組合も、その職場で働く組合員以外の労働者の環境の維持に一定は協力せねばならないという帰結になりうるように思われる。
職場環境には、会社だけでなく、組合も各労働者も影響を与えうる。会社側は職場環境を整えなくてはならないが、組合は会社が整えた職場環境を乱しても構わないというのは、無理があるのではないか。職場環境配慮義務そのものの主体は会社であるとしても、「会社が整えた職場環境の維持」には、組合も個々の労働者も協力すべきという解釈に発展しうる。
つまり、「職場環境配慮」という論は、組合あるいは個々の労働者の表現の自由への規制を正当化する理屈にもなりうるように思われる。
そのような点で、本件訴訟における原告主張も、「気に入らない内容の表現を違法と指弾し、黙らせることができて、良かった」ということで終わるのかというと、そういう保障はまるでなく、ブーメランのようにたちまち自らに返ってくる危険を孕んでいる。それが、表現の自由の規制拡大の、誰にとっても怖いところである。そういった「職場環境配慮義務」を根拠とした表現規制の危険性も踏まえて、本件においては慎重に法的な評価が加えなければならない。”

次回も第6準備書面について、続きから紹介していきます。

フジ住宅の訴訟と裁判 第6準備書面

今回もフジ住宅の訴訟・裁判に関する情報をお届けします。

” 「自分にとって不快、反感が湧く」という非常に主観的な感覚が、「職場環境配慮」という一見客観化した呼び方にすり替えられ、いかにも客観的な規範らしく語られているだけなのである。
(2)「職場環境」によりリベラルな言論も社内で制約される危険あり
仮に原告が「主観ではない。好き嫌いではない。内容に関係なく政治的な資料が配布されることが問題なのだ」と主張を貫くのならば、思想的な左右に関係なく、およそ政治性や政治性を帯びた資料は社内配布できないということになろう。しかし、それが本当に良いことなのであろうか。
例えば、官民問わず、労働組合が、労働条件改善要求等の本来的な活動にとどまらない内容の、思想的主張(「安保法制反対!」等)や政治的活動(イベント等への動員への協力要請も含まれる)を記したビラ等をかなりの頻度で配布している職場は存在する。使用者側がそういったビラ配布行為も許容ないし黙認し、施設管理権により禁止はしていない場面も多い。
しかし、職場には多様な思想の労働者がいて当然であるから、そういったビラ等の内容に感情的反発や政治思想的反感を抱く個々の労働者も、一定割合は存在しているであろう。”

次回も第6準備書面について、続きから紹介していきます。