フジ住宅の訴訟と裁判 最新情報

フジ住宅の訴訟と裁判に関する書面を、公式ブログから紹介しています。

 

”  結局のところ、もし社内での政治的見解の資料配布が違法とされることがあるとするならば、具体的なその配布の態様を吟味し、社員に対する記載された意見の強制や過度な押し付けがある場合に限られるであろう。

この点に関して尋問から改めて明確になったところとしては、原告にも、他の社員にも、配布された歴史等に関する資料(政治的見解等)については、読む読まないは自由であると周知され(原告31頁。同37頁でも「完全には読んでいない」と原告は述べる。今井13頁)、読まなくとも何ら不利益処遇を受けることはなく、読んだか読んでいないかを上司や会社が確認することもその手段もなく、読んだかどうかやその意見への賛否を人事査定の資料とされたりすることもなく、歴史等に関するテーマについて感想文を書くようにと指示されることもなく(原告51、52頁。菊池6頁。植木1~3、24頁。今井13頁)、配布された資料を社内で捨ててしまう社員もいる(原告11頁)といった点が重要である。

こういう配布等の態様を見ると、資料の閲読自体にも強制はなく、記載の意見に関しても何ら押し付けはない。社員としては、受け取った資料はせいぜい表紙や題名を見て内容を確認し、歴史等の記載テーマに関して関心が持てなかったり記述の論旨に賛同できなければ、読まずに処分するという対応が可能である。捨てるにあたり、目立たないようにするという配慮をする者がいたとしても、それが資料配布の違法評価を左右するものとは到底いえない。

経営理念感想文では、被告今井の配布資料の内容に賛同する意見が多く掲載されるとしても、それは寄せられた感想文の実態を反映したものであり、それをもって意見の強制や押し付けがあると決めつけられるのは失当である。また、経営理念感想文集についても、閲読や感想表明は義務付けられておらず(今井13頁。乙22・29頁)、歴史等に関する資料についての感想文で原告が反発を覚えるものがあれば読まなければ、それにより特段の不都合はない。

原告は、社員の感想文が被告今井の思想に賛同する内容ばかりであり、それが自分にとって圧迫的に感じたとの旨を主張しているが、社員が被告今井に感化されている実態が感想文集にそのまま表れているのであり、それは、思想の伝播、それを受けた呼応、感想文集という形での伝播呼応状況の発表の全ての局面において被告らと社員らの自由領域の問題であって、そういう実態自体を問題視するのもおかしい。

原告は、配布資料の量的な面にもっぱら着目し、それを資料配布の違法性の中核とするようであるが、内容自体に問題がなく、相手への強制でもない表現が、量的な理由のみで違法評価された例はかつてないと思われる。職場というだけで、そういう表現の「内容規制」が許容されるのかは、大いに疑問である。”

 

次回も続きから紹介していきます。